2011年12月11日

歴史的役割

後世のユダヤ教が律法を尊重すればするほど、ますますモーセは尊敬された。

『旧約聖書』の最初の五書(「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」)は、

彼の著作とみなされ「モーセ五書」とよばれた。

キリスト教にとっても、彼は旧約を代表する人物であり、「律法はモーセを通して与えられたが、

恵みと真理はイセス・キリストを通してあらわれた」(『新約聖書』「ヨハネによる福音書」)

といわれるように、新約の核となるイエスに対照させられた。

イスラム教でも、アラビア語でムーサーと呼ばれる彼は大預言者として尊敬されている。

歴史的にみれば、おそらく最初は雑多な部族集団の寄せ集めにすぎなかったエジプト避難民を、

ヤハウェとの契約を核とする宗教共同体にまとめあげた点、

またそもそもそれまで「父祖の神」という以外には固有の名も知られていなかった神への信仰を

形あるものとし、律法お祭儀の大枠を定めて後のユダヤ教の基礎を置いた点、

以上の2点にモーセの役割を認めることができよう。

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2011年12月04日

シナイ山における十戒の授与2

前586年に新バビロニアのネブカドネザル王が来襲し、

当時ユダ王国の首都であったイェルサレムを焼き払って

ユダ王をはじめとする人々をバビロンに連れ去った。(バビロン捕囚)

その際、神殿の祭器や宝物が略奪されたことは

聖書に詳しく記されているのに、不思議なことにいちばん大切な

「契約の箱」の行方への言及がない。

後にアケメネス朝ペルシアの時代になって、イェルサレム神殿が再建されたときの

記事でも「契約の箱」については一言も触れられていない。

そこで後世この箱の行方についえ、さまざまな伝説や物語が生まれることになった。

なかでも有名なのがエチオピアの王朝の始祖伝説である。

それによると、かつてソロモンを訪ねたとつたえられるシバの女王は、

じつはエチオピアの女王で、彼女は帰国後ソロモンの息子メネリクを生み落とした。

長じてイェルサレムを訪ねたメネリクを、ソロモンは長男として認知し、

彼の帰国時に「契約の箱」とともに、ヤハウェの神もイェルサレムを去って、

エチオピアの首都アクスムに移った。

これによりアクスムは第2のイェルサレムとなり、

メネリクによりエチオピアにソロモン直系の王朝が開かれたというのである。

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2011年12月03日

シナイ山における十戒の授与

モーセ伝説のもうひとつのクライマックスとなるのがシナイ山における十戒の授与である。

シナイ山は、シナイ半島の南部にある標高2285mの険しい山で

現在はモーセ山とよばれている。

その山中で神がふたたびモーセに顕著し、神とイスラエルの民との

契約をつたえ、後のユダヤ教の基本となる律法を授けたというのである。

その律法の核となるのが、2枚の石板の表と裏に

神みずからが彫り刻まれたという十項目の戒め、

すなわち十戒である。

以下にその要点を記そう。


あなたには、私をおいてほかに神があってはならない

あなたはいかなる像もつくってはならない

あなたの神の名をみだりに唱えてはならない

安息日を心に留め、これを聖別せよ

あなたの父母を敬え

殺してはならない

姦淫してはならない

盗んでんはならない

隣人に関して偽証してはならない

隣人の家、妻、男女の奴隷、牛、ろばなど、隣人のものを

いっさい欲してはならない


モーセは神の命にしたがってアカシア材で箱をつくり、これに十戒の石板を納めた。

これが「契約の箱(英語でアーク)」とよばれるもので、

イスラエルの民が荒野を放浪中は、かつがれて常にその先頭にあり、

ソロモンがイェルサレムに神殿を築いてあとは、至聖所のなかに安置された。

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